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人間関係も生き方も不器用な僕が『やりたいこと』を見つけるまでの話

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キム兄 17歳

ぼくが住んでいる所は何もない場所で、バスや電車も1時間に1本あるかないかという、とても田舎な町でした。

何県かは察してほしい

 

そんなのんびりしたところでボケーっと育ったぼくは高校2年の時に『進路』という形で唐突に将来の進む道を選ぶように突き付けられました。

 

ティーチャー
ティーチャー
—あなたは高校を卒業したらどうするんですか?就職?進学?
キム兄
キム兄
え?就職って働くこと?高校を卒業してすぐに働くなんてゴメンだね。
進学だって勉強するってことでしょ?勉強は大嫌いだっていってるじゃん!(高校も嫌い)

これはぼくが高校で進路を決めるまでの体験談です。

ほぼ日記みたいなものですが、これから進路を決める人にとって何らかのヒントになれば幸いです。

 

遅い一歩…高校卒業後の進路を決めろ!

進路に悩む…

 

学校が大嫌いなぼくは高校卒業してからも勉強するなんてマジカンベン!な状態でした。
大学なんて行きたいと思わなないし、仕事だってしたいと思わなかった。

そんな17歳(高校2年)の冬…。

自分の部屋でゲームをしたり漫画を読んでる時はノー天気でいられるけど、実際に親と面を向かうと現実に引き戻されます。

もうそろそろ進路を決めないとマジでヤバい時期に入ってきてるから親も気が気じゃありません。

お母さん
お母さん
—何か…決まった?
キム兄
キム兄
…何かって?
お母さん
お母さん
—今後の事とか、進路の事とか。
キム兄
キム兄
い…いろいろ考えてるし!いちいちうるさいよ!いいのが見つからないだけだからっ!

そう叫んでまた部屋に戻ってゲームの続きをする。
そんな毎日の繰り返し。

 

いろいろってなんだろう?
いいのってなんだろう?

 

そんなことを悶々もんもんと考えながら17歳の冬は過ぎていきました。

高校に入ってたった2年。
2年前はまだ中学生。

なんでそんなに早く将来の事を考えなきゃならないんだろう?と思ったのは今でも覚えています。

 

いろいろと体裁ていさいを作る日々

進路の事なんてよくわからないから、新聞の折り込み広告で進学情報や就職の求人を見たり、コンビニで学校案内の雑誌を買ったりして体裁を整えます。

【体裁-ていさい】
世間の人の目にうつる自分のかっこう。世間体。見栄。

ぼく、ちゃんと将来のこと考えてますよアピール。

 

実際にちゃんと読むこともなく、毎日漫画を読んだりゲームをしていたわけですが、友人がどんどん進路希望調査の紙を出していくことを知り、現実を知っていきます。

やばい、マジで何も決まってないの俺だけじゃね?

だからといって自分の進路が決まることはなく、毎日「どうしよう」と考えるけど思考はそこから一歩も出ず。
当然だれも助けてくれないからこの時期が人生で一番イライラしていました。

 

ゲームで負けた腹いせにプレステ2のコントローラーも2つ破壊したのはいい思い出。

 

適当に専門学校を選んだものの資格試験は断念

もうどうしようもなくなったぼくは、運動が好きだ!という理由でアスレティックトレーナーの専門学校に目を付けます。

ただ、アスレティックトレーナーという仕事がどんな仕事かよくわからないまま受けたので、あっけなく落ちることとなります。

というか、その学校に行くとして通うのか?一人暮らしをするのか?すら決めていない状態だったし、学校見学もいかずマジではがき一枚出しただけで受験したので、今となっては落ちてよかったのかな?と思っています。

 

でもこうなると、どうしてもアスレティックトレーナーの学校に行きたい!と思うようになり(そんな性格)、東京都内の専門学校を受験し、見事合格することになります。

でも実際はアスレティックトレーナーなんか別になりたくないんだよ。
とにかくさっさと進路を決めて、進路に悩みたくなかっただけなんだよ。

 

できない勉強

もともと勉強が嫌いだったのに専門学校に行くもんだから、専門的な知識が必要なので勉強にはかなり苦労しました。
スポーツ経験もあったのですが、やっぱり専門的な勉強はなかなか厳しいものがあった、というのが実際です。

ただ単に「スポーツが好き」というだけで専門学校の壁は乗り越えられず、結果的に国家試験は受験することなく学校を卒業してしまいます。

 

だから好きという理由+「何か」がなければ、将来の道は開かれることはないんだと今でも思っています。

 

きちんとした仕事を探そう!

実際に専門学校の卒業を目前に控えても、何をしたらいいか分からないまま。
この時20歳。

焦ったぼくは専門学校のティーチャーに相談し、こんなことを言われます。

ティーチャー
ティーチャー
—なんの仕事をしていいか分からなければ、これだけは譲れないというポイントを見つけてみなさい。
キム兄
キム兄
ほう…?

 

つまり「何をやりたいか」ではなく「何が欲しいか」を考えなさい。というもの。

 

キム兄
キム兄
うーん…まぁとりあえず横浜で働きたいかな。

と、適当な感じのボケた発想で社会人になっていくのでした。
もちろん、こんな気持ちで就職した職場は、あっという間にやめる羽目になるのですが…

 

1周回って見つけ出せ!将来の道筋を!

専門学校卒業後は、横浜市内の整形外科クリニックでリハ助手として働きました。
でもちっとも楽しくないし、電車通勤は面倒くさいし、給料は安い。

もうマジでこの仕事(リハ助手)したくない!
やめたいなー。

という気持ちがぐるぐる渦巻いていて、もはや自分がなぜ就職したのかさえ分からない状態に。
そんなあるとき、友人(女性)からこんなメールが届きます。

「元気ですか?私はいまずっと夢だった保母さん(当時はこう呼んでた。今は保育士さん)の資格を取って毎日子供と楽しく過ごしています。キム兄は今の職場にはなれましたか?また地元に戻った時にみんなで遊びましょう!」

…残念ながら、ぼくは仕事を全然楽しいと思えませんでした。
なんで自分とこの友人でここまで差がついたのか本当に疑問でした。

結局、進路を適当に決めた自分が悪いということなんですけどね。

 

きっかけは偶然か必然か

そんなある日、同じ職場で働いている理学療法士のお給料を聞く機会があり、あまりの高給取りでびっくりします。

キム兄
キム兄
時給5000円とかマジか!

当時、理学療法士はバブル時期で医師と同等の扱いを受けていた時代です。
今はそこまでの権力や給料はないのですが、当時はマジヤバかったです。

今の理学療法士の給料が気になる人はこちらをどうぞ>>>

 

そもそも、リハビリ助手をしているときに理学療法士の先生の仕事をみてカッコいいな…と思うこともあり、ちょっとだけ興味があったんですよね。

 

で、ふと本屋で専門学校の本をペラペラめくったら、理学療法士になるための学校がたくさんある!
偶然にも当時、理学療法士の養成校が乱立している時代でいくらでも学校はありました。

資料請求をして、よく調べると学費もなんとか用意できそう!
奨学金も借りられそう!

 

もともとスポーツトレーナーの学校に通っていたからある程度の知識はあり、すんなりと合格。
この時の年齢は24歳と、かなり追い込まれていたので18歳の連中に負けるまいと必死に勉強して、学力ではほぼトップを走ることになります。

こうしてかなーり遅い進路を決め、今は理学療法士として10年以上働いています。

 

ブログ運営もしていますので、理学療法士に興味のある学生さんたちはぜひ覗きに来てください!

 

小さな1歩から歩き出せ

ぼくはこうしてようやく「やりたいこと」を見つけました。
本当は高校2年の時に見つけて、高校3年でスタートラインに立たなければならなかったのですが、結局この道を選ぶのに6年もかかってしまいました。

実際に色々な経験をして、今に至るので確かに遠回りだったけど、ぼくはこうしないと今の道は見つけられなかったんじゃないかと思っています。

 

でもとりあえず、どんなに回り道をしようと『やりたいこと』は見つけられました。

自分で選んだ道は悔いのないように

  • 死ぬほど勉強して
  • 朝まで遊んで
  • 吐くまで飲んで

全てに全力でぶち当たっていたのを覚えています。
こんな感じで、遅い一歩を踏み出したのでした。

 

さいごに

いま思うと、ぼくはずっと「進路」から逃げていました。
自分に自信も持てないし、努力も嫌い。

逃げるのってすごく楽なんですよね。
自分の事に向き合うのが怖かったですし、それを否定されるのも怖かったんだと思います。

でも、どんなに逃げてもどこかでターニングポイントがあり、それを自分のモノにできるように世の中はうまく回っているように思います。

キム兄
キム兄
こんな風に、いい加減で逃げてばかりの人生だって
24歳から専門学校に通ったって何とかなるもんだ

「なんだよ、それって自分のほうが全然マシじゃん!」

そう思ってくれれば、この記事を書いた意味があるってもんです。

 

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